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名古屋地方裁判所 昭和51年(ヨ)1401号 決定

申請人 杉浦一好 外一三名

被申請人 株式会社岸本洋服店

主文

一、本件申請をいずれも却下する。

二、申請費用は申請人らの負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、申請人ら

(一)  申請人らは、被申請人の従業員たる地位にあることを仮に定める。

(二)  被申請人は、申請人らに対し別紙目録A欄記載の各金員及び昭和五一年一二月一日以降本案判決確定まで毎月末日限り別紙目録B欄記載の各金員を支払え。

(三)  申請費用は、被申請人の負担とする。

二、被申請人

主文同旨

第二、当事者の主張

(申請の理由)

一、(一) 被申請人は、肩書住居に本店をおき、洋服類の製造販売・仕入販売受委託販売を業とする資本金一〇〇〇万円の株式会社であり、社長岸本英太郎の先代が大正元年に開業した個人営業を昭和二八年六月法人化したもので、店舗は本店のほか岡崎市康生通西レオ内に「レオ店」を、岡崎市本町通に「アドン店」を有していた。他に昭和四九年八月前記レオ内に「ダンデイ店」、同年一一月豊田市ユーマート内に「ヴアン店」を開設したが、昭和五一年三月いずれも閉鎖した。従業員は二二名、内店長三名である。

(二) 申請人ら一四名は被申請人の従業員であるが、全国一般労働組合愛知地方本部に個人加盟し、かつ右組合の岸本洋服店支部を構成している。

二、被申請人は、昭和五一年一一月二日事業の継続ができなくなつたとして全店舗を閉鎖し、同月一〇日申請人らを含む従業員全員に対し、同月一一日限り解雇する旨口頭で通告し、同日株主総会の決議により解散したとして、同月一三日解散登記をなし、その後同月一七日申請人らに対する一〇月二一日から一一月一一日までの賃金と解雇予告手当一ケ月分を名古屋法務局岡崎支局に供託した。

三、しかしながら、右解雇の意思表示は以下の理由で無効である。

(一) 店舗閉鎖―会社解散の不当性

被申請人の店舗閉鎖会社解散は真実なされたものでなく、将来事業を再開する意図が明らかで、申請人ら組合員を企業外に排除するための便宜的な措置として行つたものであるから、本件解雇は不当労働行為として無効である。

1 店舗閉鎖に至る経過

(1) 被申請人の昭和四八年度乃至五〇年度の総売上高及び損益は、別紙収支概要の売上高、営業外損益を含めた損益欄記載のとおりであり、被申請人の昭和四九年度以降の損失は会社設立以来はじめてのことである。

(2) 右損失の主な原因は、昭和四九年八月のダンデイ店、同年一一月のヴアン店の新設、昭和五〇年三月オープンしたアドン店の改装等による借入金その利息と人件費など一般管理費の増加によるものである。即ち昭和四九年度の借入金は前年度の八九三七万円より一億五七三三万円へ急増した。しかるに被申請人は、当時石油ショック以後の不況時で所期に反して売上不振で損失が嵩むので、昭和五一年三月新設二店舗を閉鎖した。昭和五〇年度損失のうち九六六万円は右閉鎖にともなう保証金没収、投下諸設備廃棄によるものである。

(3) 昭和五一年六月から店舗閉鎖に至る一〇月までの間において、業界全体の傾向と同様に被申請人の経営状態も決して良いとはいえなかったが、倒産を必然とするものではなく、再建は十分可能であるのに、被申請人の経営努力は極めて不十分であつた。即ち被申請人は借入金が前記の如く一億七一三九万円で、支払利息が一七二六万四〇〇〇円にも及ぶのに、遊休資産などの処分によつて返済しようとする努力もなさず、ようやく被申請人所有の岡崎市若松町字東三田ケ入山林四筆のうち、二筆を昭和五一年八月二六日と、同年一一月六日に売却し、残る二筆及び額田郡額田町の山林二四四三m2も売却可能であり、東海ユニーの保証金八六四万円、額田カントリ・NYC・デベロッパー・オリエントクラブ・中央ビルなどの出資金九一五万円も取戻し可能であり、更に社長宅の土地・建物、社長の長男岸本英明所有の岡崎市中岡崎町の宅地六二七・三八m2などの個人財産を提供すれば営業を継続できる。しかるにかえつて右英明所有の土地には同年一一月一三日受付で岩月要を債務者として高岡農業協同組合に対し極度額二六〇〇万円の根抵当権を設定している。

(4) 被申請人は一一月一日開催された団体交渉で全店舗の閉鎖を発表した。閉鎖の理由は、一〇月二〇日及び三〇日を支払期日とする約束手形合計七五〇万円が不渡りになり、大手問屋三社(天神山・光洋クローシング・ジョンストン勝根)の援助を受けられないので事業を継続することができないというのである。しかしながら、決済できなかつた手形総額はわずか七五〇万円であったにも拘らず、被申請人はこの不渡を避けるための努力を何もしていない。ゴルフ会員券などの処分もしていないし、従前やつていた役員の個人融資を導入することもしていない。即ち、昭和四八年度までは役員の個人融資を受け、昭和五〇年八、九月にも短期の融資を受け、そのうち一回は九〇〇万円という額であつた。更に組合側から手形不渡を避けるため、一時金の支給を延期するよう協力するとの申出もことわつて、一時金を支給したうえ不渡りにしている。

2 申請人らの組合活動と被申請人の対応について

(1) 被申請人においては、昭和五〇年六月高卒の新入社員が「性格不適」を理由に解雇されたことがきつかけとなつて労働組合をつくろうという気運が生じ、同年八月従業員九名が全国一般労働組合愛知地方本部に加盟し、同年一一月二三日には支部組織の承認を受けた。

(2) 昭和五〇年一〇月から一一月にかけて、年末一時金、休日、有給休暇等の要求をめぐつて、店長を含む従業員代表と被申請人との間で数次の交渉が行われ、同年一二月六日臨時休業にして交渉した結果一応の合意に達したが、文書化の段階で社長岸本英太郎が所在をくらましたため、副社長百合子との間で翌七日も臨時休業のまま交渉を継続する旨約した。しかるに、社長は翌七日あらわれて、職場復帰しなければ年末手当を支給しないと表明し、従業員が副社長と交渉しようとしたのに対し、一一〇番で警察官を呼ぶ挙に出た。ここで申請人らは、全国一般愛知地本に加盟し、岸本洋服店支部(以下「組合」という)を構成している事実を始めて通告して公然化し団体交渉を求め、ストライキに入ることを通告した。こうしてようやく前日の合意を文書化(以下「一二・七協定」という)することができた。他方被申請人は、この日早くも全繊同盟の役員と接触をもち、縫製員二名に対し、第二組合結成をすすめており、また同月一六日より申請外小早川啓一が労務を担当するに至つた。被申請人と組合側はその後団体交渉を継続し、同月一九日年末一時金交渉が妥結した。

(3) 被申請人は 昭和五一年一月一九日ダンデイ店とヴアン店の閉鎖を発表し、同月二六日希望退職募集の方針を打ち出した。組合はスト権を確立して交渉した結果、二月一四日被申請人との間で、被申請人は人員整理案を撤回し、組合は二店舗の閉鎖を認め、配置転換・業績向上について労使誠意をもつて協議することを合意した。しかし、配置転換については組合側が各店の位置付けをも考慮し、具体案を示して協議しようとしたのに対し、被申請人は運転免許のあるダンデイ店の一名を本店へ配転することに固執し、協議は進展しなかつた(なお、ダンデイ店、ヴアン店新設にともなう人員増は三名であつたが、閉鎖によりヴアン店の二名は退職した)。

(4) 昭和五一年春闘は三月一九日スト権を確立し、同月二二日より団体交渉に入つたが、被申請人の零回答、低額(五%)回答のため、闘争が長期化した。組合は四月一八日より腕章・ワッペン着用闘争を開始し、同月二四日にはジーパン着用闘争を開始し、同月二五日にはストライキを行つた。

被申請人は同月二六日ストライキ中の従業員の一部が本店内に立ち入つたことを住居侵入として告訴し、これに対し警察は即日来店して実況見分を行い、同月三日から七日にかけて組合員一二名の取調を行つた。また被申請人は四月三〇日組合員の各家庭に手紙を送つて切り崩しをはかり、五月一〇日低額回答のまま一二名の希望退職募集を公表し、組合員の動揺を策し、更に同月三〇日以降申請外小早川が組合員の各家庭を訪問し、切り崩しにつとめ、六月一一日組合員の一名が退職した。こうしたなかで、組合のジーパン闘争は同月二九日まで、腕章・ワッペン闘争は七月一七日まで継続され(この闘争は、納得のいく解決をするから解除してほしいとの副社長の要請にこたえ、解決をまたず解除された)、同月二六日基本的な合意が成立し、八月五日個人別賃金についても合意が成立して、春闘は終了した。

(5) 夏期一時金闘争は、七月三一日要求を提出し交渉に入つたが、〇・九月+商品券二万円の回答で進展をみなかつた。また、春闘妥結時に三店長についても時間短縮と昨年並賃金とにつき組合員に準じて扱うとの合意が成立していたにもかかわらず、実際には被申請人が店長に対してのみ時間短縮と二万七〇〇〇円アップの大幅な昇給を行つたので、組合はその是正を求めたがこれも全く進展しなかつた。このため、組合は九月一一日スト権を確立するとともに、同月一二日非協力闘争を開始した。非協力闘争とは、顧客に対し商品の購売を積極的にはすすめない販売態度をとる争議形態である。この闘争は、同月二七日まで続けられたが、被申請人は同月二九日賃金遅配案を提示し、翌三〇日の支給日に八〇%、翌一〇月一日に二〇%を支給した。夏季一時金については一〇月八日に一ケ月分+商品券二万円で妥結するに至つたが、前述の昇給是正の問題は解決されることなく終つた。

(6) 以上の経過をみるに、組合公然化以来ストライキが実施されたのは二日にとどまるが、昭和五一年春闘、夏闘とも闘争が長期化し、そのなかで、春闘におけるジーパン闘争・夏闘における非協力闘争などの争議形態がとられ、洋服類の販売を業とする被申請人が、これらの組合活動を強く嫌忌していたことは明らかである。

3 債務整理の状況

(1) 被申請人の資産としては、預貯金は相殺、売掛金は半分回収、商品は全部処分済、不動産は若松町の土地のみ閉鎖前に処分、本町通アドン店の土地建物は一億五〇〇〇万円で売却予定、レオ店の敷金四六二万円、出資金一七四九万九一五〇円、保証金二六万八四〇〇円がいずれも未回収である。負債としては、岡崎信用金庫に対し一億二〇〇〇万円、大手問屋三社に対する支払手形、買掛金残債務一〇〇〇万円があり、小口債権者へはすべて支払済、このほか閉鎖直前退職金用に岩月要から借入れた八八〇万円がある。退職金用借入債務を別とすれば、支払うべき債務の合計は約一億三〇〇〇万円であるが、これに対し回収可能な仮払金出資金保証金二二〇〇万円、売却予定土地代金一億五〇〇〇万円というのであるから、アドン店の土地を売却した場合には四二〇〇万円もの剰余金が出る。明らかに黒字倒産である。

(2) 被申請人の株主は、岸本英太郎(出資金一〇〇〇万円の内六五六万円)、妻百合子(一七万円)、長男英明(三二〇万円)、二女優子(二万円)、妹鈴木益子(三万円)、妻の母岩月つぎ(三万円)の六名で、代表取締役は英太郎、取締役はその妻と長男、右三名で九九・三%の株式を有する純然たる同族会社である。本店の店舗、車庫、それらの敷地は英太郎の個人所有で、アドン店の土地、建物、若松町の土地のみが会社所有である。ところで被申請人のように、実質的には経営者の個人企業である場合には、少なくとも事業経営の基盤たる資産で、経営者の所有名義であるものについては、会社資産と同視して取扱うべきで、実際にも被申請人は岡崎信用金庫に対してこれらの個人名義の事業用資産に抵当権を設定している。このように事業経営の基盤たる本店の土地建物、しかも金融機関に対し、事業資金借入のため抵当権を設定していた物件が、完全に温存しうるような倒産を真正な倒産とみることはできない。

4 本店における事業再開の意図

社長岸本英太郎らは、温存されている本店の土地建物を利用して事業の再開をはかろうとしている。即ち、被申請人は組合結成を理由に手形取引をやめ現金決済にきりかえていたが、倒産直前には再度手形取引を開始して不渡という外部的状況をつくり出したこと、しかも不渡処分は受けておらず、債権者会議等は開かれず、大手問屋三社以外の小口債権はもとより、大手問屋三社の債権も最終的には弁済可能であること、大手問屋三社も従業員との問題解決を先行させるべきだとし、不渡後店舗閉鎖までの間に商品の引揚を行わなかつたこと、レオ店の営業場所であつた協同組合ショッピングセンターの賃借店舗で店長らによつて営業を再開した「三光」に対し大手問屋三社が全面的に協力していること等々にてらして明らかである。

(二) 協定違反

被申請人と申請外全国一般労働組合愛知地方本部岸本洋服店支部とは、一二・七協定九項において、「被申請人は今後労働条件については労使協議決定する」旨合意している。右労働条件には「退職に関する事項」が含まれていることは明らかである(労働基準法一五条一項、同法施行規則五条四号、同法八九条三号)。しかるに本件解雇については労使間で協議決定がなされていないから、本件解雇は前記協定に違反し無効である。

(三) 解雇事由の不存在

本件解雇は、就業規則二三条一項五号「事業の縮小その他やむを得ない業務上の都合による時」に該当するとしてなされたものと考えられるが、「やむを得ない業務上の都合」というのは、あらゆる方法で経営努力をしたが、なお経営危機を打開できず倒産するに至つた場合をいうが、前記のように被申請人は経営努力を全く尽さず、再建の可能性が十分あるのに店舗閉鎖をなしたものであるから、本件解雇は解雇事由を欠き、解雇権の濫用として無効である。

四、以上の如く本件解雇は無効であるから、申請人らと被申請人との間には依然として雇用契約が存続しており、申請人らは従業員たる地位を有している。しかるに、被申請人は申請人らの労務提供を拒んでいるから、申請人らは被申請人に対し、反対給付である賃金の支払請求権を有している。右賃金額(平均報酬一ケ月分)は、各申請人について別紙目録B欄記載のとおりであり、支給日は前月二一日より当月二〇日までのものを当月末日に支給することになつており、また申請人らは昭和五一年一〇月二一日より一一月一一日までの賃金について別紙目録C欄記載のとおり供託金還付により受領したので、申請の趣旨のとおり同月一二日以降の賃金請求権を有するものである。

五、申請人らは、今後も被申請人の従業員として引き続き就労する意思があるけれども、本案判決の確定するまで解雇された状況を続けることは被申請人の従業員としての将来に大きな不利益を受けることになり、また店舗への立入りも禁止されているので組合活動の上でも重大な支障があり、かつ解雇されるまでは被申請人から支給される賃金のみにより生活を維持していたものであるから、賃金の支払がなければ直ちに困窮におちいらざるを得ない。

よつて、地位保全と賃金仮払を求めるため本申請に及ぶ。

(申請理由に対する被申請人の認否)

一、申請理由一(一)の事実は従業員数を除き、その余は認める。昭和五一年一一月末現在の従業員数は大山春日を除く二一名(内店長三名)である。同(二)の事実中大山春日以外の申請人らが従業員であつたことは認めるが、同女が従業員であつたことは否認する。申請人らの組合加盟は不知。

二、同二の事実は認める。

三、同三(一)前文は否認する。同三(一)1(1)の事実は認める。同(2)の事実中申請人ら主張のとおり三店舗の新設改装をしたこと、借入金が急増したこと、新設二店舗を閉鎖したことは認めるが、その余は否認する。同(3)の事実中第二三期営業年度末借入金及び支払利息、山林二筆の売却、英明所有土地上の根抵当権設定がいずれも申請人ら主張のとおりであることは認めるが、その余は否認する。同(4)の事実中申請人主張のとおり全店舗閉鎖を発表したことは認めるが、その余は否認する。

同三(一)2(1)の事実中昭和五〇年六月高卒新入社員を解雇したことは認めるが、解雇原因は否認する、組合結成の経過は不知。同(2)の事実中昭和五〇年一二月七日、同月一九日に申請人ら主張の各協定が締結されたこと、及び同月一六日より団体交渉に申請外小早川啓一が出席したことは認めるが、同人が労務を担当していたこと、及び被申請人が全繊同盟役員と接触し第二組合の結成をすすめたことは否認し、その余は争う。同(3)の事実中昭和五一年一月一九日二店舗の閉鎖を、同月二六日希望退職者募集を夫々発表したこと、同年二月一四日申請人ら主張の合意が成立したこと、ヴアン店勤務の二名が退職したことは認めるが、その余は争う。同(4)の事実中申請人主張の争議が行われたこと、被申請人が組合員を告訴し、従業員の家族に手紙を送つたこと、希望退職の募集をしたこと、小早川啓一が組合員の家庭を訪問したこと、及び申請人主張の如き協定の成立は認めるが、その余の主張は争う。同(5)の事実中夏期一時金闘争の経過は認めるが、店長に対してのみ大幅な昇給をしたとの点は否認する。同(6)は争う。

同三(一)3(1)の主張は争う。申請人らの計算は、岩月要に対する返済金を除外し、土地売却代金一億五〇〇〇万円、出資保証金二二〇〇万円が入金したことを前提としているが、出資金は全額が回収できるものではないし、土地も希望価額では売却できず、譲渡利益に対しては高率の課税がなされる。申請人らの主張は以上の点を除いて計算した空論である。同(2)の主張は争う。

同三(一)4の事実は否認する。

同三(二)の事実中、申請人ら主張の協定が成立していることは認めるが、その余は否認する。

同三(三)は争う。

四、同四の事実中、申請人大山春日を除くその余の申請人らの平均賃金額、供託受領額は認める(但し一一月分賃金額は否認する)。その余は争う。

五、同五は争う。ことに申請人柴田正明は肩書住居において「柴田洋服店」の看板を掲げ、洋服の製造販売業を営み、相当の収入を得ているから、保全の必要性を欠くこと明らかである。

(被申請人の主張)

一、被申請人は、申請人大山春日の労務を企業組織内に編入し支配したことはなく、同申請人との間には、雇用関係は存しない。即ち同女は昭和四七年一二月から被申請人の洋服類の仕事を請負つていたもので、被申請人はその仕事に対する報酬を全額出来高に応じた歩合で支払つている。当初右申請人は被申請人本店二階仕事場で仕事をしていたが、昭和四九年七月以降は自宅において仕事をしており、昭和五〇年九月頃から再び被申請人本店二階で仕事をしているが、これはズボンの裾の加工については同所の特殊ミシンを使用した方が便利であるからにすぎず、また被申請人が同女に対し出退勤の時間を定めたこともない。

二、(一) 前記のとおり、被申請人は申請人らに対し解雇の意思表示をなし、あわせて昭和五一年一一月一六日平均賃金一ケ月分に相当する労働基準法所定の解雇予告手当金を名古屋法務局岡崎支局に弁済のため供託したが、被供託者である申請人らは既に供託受諾を原因として同法務局から右供託金全額の還付を受けた。従つて供託金の還付を受けた申請人らは解雇の効力を承認したものというべく、本件仮処分において解雇の効力を争うことは許されない。

(二) また雇用保険法に基づく失業給付は被保険者たる労働者が失業したことを条件として給付されるものである。従つて失業給付を請求する労働者は事業主との間の雇用関係が消滅したことを自認した上でなければその給付を請求し得ないことは当然のことである。しかるに、申請人らは昭和五二年一月以降会社を解雇されたとして失業給付を受給している。してみれば、申請人らは本件解雇の効力を承認したものというべく、今更これを争うことは不当である。

三、仮りに、以上の主張が理由ないとしても、被申請人は以下述べるとおり経営に行き詰まり、真実解散したのであるから、これに伴う本件解雇は有効である。

(一) 店舗閉鎖に至る経過

1 被申請人は昭和二八年六月八日洋服類の製造販売業等を営むことを目的として設立され、資本金は昭和四七年八月金四〇〇万円に、昭和四八年一一月二〇日金一〇〇〇万円に増資された。株主、役員は申請人ら主張のとおりである。被申請人の営業年度は毎年六月一日から翌年五月三一日までであるが、昭和四八年六月一日以降各決算時の収支は、別紙収支概要記載のとおりである。また被申請人は毎年粗利益を計算して将来の計画を策定しているが、別紙毎月損益表記載のとおり昭和五〇年二月以降毎月多額の損失を生じており、第二二期営業年度(昭和四九年六月一日から五〇年五月三一日まで)には会社設立以来はじめて約六五三万円の損失を計上するに至り、その対策について検討を重ねた。

2 被申請人の有する五店のうち、ダンデイ店は全店舗中最も赤字が大きく、「ヴアン店」は豊田市内に昭和五〇年六月頃ジャスコが進出したため損失が増大したので、被申請人は昭和五一年二月右二店舗を閉鎖し、損失の減少と経費の節減を図り、右閉鎖により当然従業員に剰員を生ずるので希望退職者募集を行つたが、組合の反対によりダンデイ店勤務の二名はレオ店に移籍し、余剰人員をかかえたまま営業を継続した。このため被申請人は毎月損失を重ね、第二三期営業年度決算期(昭和五〇年五月三一日現在)には一八六四万円余の損失を計上した。同年度には前年度の欠損にともなう租税還付金四五二万八五七五円を営業外収益として算入しているので、実質損失は二三〇〇万円余となり、また同期の負債は〈1〉買掛金約三五四七万円〈2〉借入金約一億七一三九万円〈3〉支払利息約一七二六万円等に及んだ。このような状況のため、被申請人代表者は本件建物賃料を会社から取得していたが、右営業年度には当初一ケ月半位を受領したのみでその余を放棄し、役員報酬も約一割を削減し、従業員に対しては希望退職者募集、親に対する協力依頼等の努力を重ねてきた。

3 元来被申請人の営業形態は洋服類を店頭に陳列し来店した顧客に従業員が応対してこれを販売するのが中心であるが、組合は昭和五一年四月以降申請人ら主張のとおり腕章、ワッペン着用闘争、ジーパン闘争を行い、このため売上げが激減し会社継続が危ぶまれた。そこで被申請人はこの経営状況を従業員父兄に認識してもらうとともに、倒産等の不測の事態を生じたときに迷惑をかけないようにするため、同月三〇日父兄に手紙を出したりした。同年五月の売上げは前年に比しておよそ半減したので、同月一〇日一二名の希望退職者募集をしたが、申出がないため被申請人はその後の経営に一層苦慮した。この状況を見ていた申請外小早川啓一は自己の自発的意思で家庭訪問して希望退職の勧奨をした。また同年四月二六日組合員がストライキを行う旨通告してきたので、被申請人が本店のシャッターを閉めておいたところ、一部組合員がこじあけて店内に立入つたため被申請人は刑事告訴した。

以上の組合の争議は同年七月終結したが、この間売上げは大幅に減少し組合員の異様な服装による就業等のため顧客並びに金融機関に対する被申請人の信用を失墜した。

4 同年八月被申請人の経営状況は別紙毎月損益表記載のとおり約六〇〇万円近くの損失を生じ、資金に不足を来した。

被申請人は同月八日岡崎信用金庫から六〇〇万円の融資を受け、さらに同月下旬さきに売却した岡崎市若松町所在の土地二筆の売買残代金四三九万円が入金したので、これらをもつて同月末の給料等の支払にあてた。次いで九月に入り、被申請人は再三前記金庫に融資を懇請したが、経営状況が極度に悪いため拒絶された。このため、被申請人の問屋に対する毎月の支払は七日であつたが、支払資金がなく、大手問屋四社(マックス、天神山、勝根、光洋)に懇請し、支払を約一ケ月程度待つてもらうこととし、金三〇万円支払期日同年一〇月七日、金四五〇万円支払期日同月一〇日、金一〇〇万円支払期日同月三〇日の各為替手形合計五通の引受を行つて九月の支払を免れた。しかし小口の仕入先には現実の支払をしたので被申請人の現金は殆んどなくなつた。従業員の給料は毎月末日払であつたが、九月三〇日には同月八日以降の売上金をもつて支払う外ない状態になり、同月三〇日朝給料の七割を、午後四時頃当日の売上金で一律一万円を、残額は翌一〇月一日に当日の売上金をもつて支払った。ついで一〇月七日の問屋支払日にも被申請人は前月以上に資金に困り、大手問屋三社(天神山、勝根、光洋)には、金三五〇万円支払期日同年一一月七日の為替手形合計三通の引受を行い、九月七日引受けた為替手形のうち金三〇万円支払期日一〇月七日と、金一五〇万円支払期日同月一〇日については取立に回つたので決済し、他の支払期日同月一〇日とする為替手形については同月二〇日まで支払期日を延期してもらつた。

5 一方、組合が七月三一日夏期一時金を要求し、九月一二日から非協力闘争を開始したことは申請人ら主張のとおりであるが、被申請人の前記のような営業形態のもとでは、組合員の行つた右闘争は被申請人の経営を破滅せしめるものであつた。しかし、被申請人は売上げを少しでも増してもらいたいために、一〇月一〇日基本給一ケ月分及び一律二万円(商品券にて代用)の夏期一時金を支払う旨の協定を締結し、同月一九日右協定に基づく一時金を商品販売代金をもつて支給した。しかし、被申請人には資金がなくなり、同月二〇日まで支払を延期してもらつていた為替手形金三〇〇万円を不渡りとした。右手形不渡りがおこるや東海銀行から借入金六五〇万円と預金の相殺が行われた。このような状況のため被申請人は組合に給料の支払猶予を要望したが、承知しないため、同月二〇日から同月三〇日までの売上金並びに預金の全部をもつて給料の支払に充てたが、同月三〇日が支払期日となつていた一〇月七日引受の金一〇〇万円の為替手形は不渡りとなつた。

6 これより先一〇月二一日夜手形不渡りを知つた光洋が善後策を迫り、二三日光洋、天神山、勝根の大手問屋三社が商品の引揚を通告してきたので、被申請人代表者は何とか営業を続けたいと思い、同月末まで猶予を乞い、一一月一日右三社に対し支払の猶予と今後の援助を懇請したが承知してもらえなかつた。同日被申請人に存在した現金預金の残高は一一六万円、これに対し同月上旬支払わなければならない債務は、買掛金九二三万円、同年一〇月不渡りとなつた手形金四〇〇万円、一一月七日支払期日の到来する手形金三五〇万円、合計一六七三万円であつた。このように被申請人の資金状況は完全に行詰り、売上高は大巾に減少しているうえ、問屋の協力が得られないで、被申請人代表者はこれ以上営業を継続するのは不可能であると考え、一一月一日夜従業員にその旨を伝え、翌二日から店舗を閉鎖したものである。

(二) 倒産の原因

倒産の原因は、企業の実体を無視した申請人ら組合員の各種争議戦術により売上げが激減したことにある。即ち申請人らは前記のとおり昭和五一年の春闘時にはジーパン闘争と称してネクタイを着用せず、ひげをのばし、ジーパン、赤いアノラックを着用し、更に腕章、ワッペンを着けて店頭に出で、九月には非協力闘争と称して店頭に出るが販売活動をしない等の争議戦術に出たのであり、これら戦術は自己の賃金を失うことなく、会社に対してのみ打撃を与えるものとして違法な組合活動というべきであり、ロックアウトをする要件は充足していたが、組合との紛争を避けるためこれをせず被申請人は、忍耐強く交渉を続けてきたのであり、これら申請人らの違法な組合活動により売上げが激減し、会社経営は破局を迎えたのであり、その責任はこのような違法な争議戦術を考え指導した上部団体の役員及びこれに追従した申請人ら組合員に帰せしめらるべきものである。また申請人らは代表者個人の財産を提供すれば営業を継続できるというが、この見解は営業資金が一時的に不足した場合にのみ成り立つもので、被申請人の前記状況では倒産時期を若干延ばすだけの効果しかない。更に個人にしても株式会社にしても営業の自由が存するのであつて、被申請人代表者が債権者もしくは労働組合のために営業を継続すべき義務を負うものでないことも明らかである。

(三) 真実の解散

被申請人は解散後清算手続をすすめてきたが、アドン店の店舗並びに敷地を含む全不動産及び商品の換価処分をすべて終了し、あとは若干の売掛金買掛金の整理、保証金等の回収手続が残つているのみである。被申請人は企業再開の意図を有しないし、営業資産のなくなつた現状では再建することは不可能であり、被申請人と永年取引してきた大手問屋三社も法定手続に従つて売掛金の回収を迫つている現状では、被申請人代表者と問屋との信頼関係は失われ、個人として営業することも不可能である。従つて、被申請人が偽装解散したとの申請人らの主張は全く失当である。

四、協定書の解釈

一二・七協定は組合結成が被申請人に通知され突発的に発生したストライキの混乱中に作成されたものであつて、その九項は被申請人の企業廃止もしくは解散にともなう従業員の解雇を予想しているものではない。従つて、解雇について被申請人は申請人らと協議する必要はない。しかし円満に事態を処理するため、被申請人は昭和五一年一一月二日から九日間従業員に給与の全額を支給して協議を重ね、退職金についても多額の一時金(平均給与四ケ月分の一時金及び一ケ月分の解雇手当金。合計平均給与の五ケ月分)を支給することを提案した。従業員の平均勤続年数一年四ケ月、平均年令二二才であることからすれば、右一時金は解雇後の従業員の生活をも充分考慮した相当な額であるが、申請人らはこれに応じなかつたのである。

以上いずれの点からするも本件仮処分申請は理由がなく棄却されるべきである。

理由

一、被申請人が申請人ら主張のとおりの洋服類製造仕入販売等を営み、本店のほか四支店を有する株式会社であつたこと、及び申請人大山春日を除くその余の申請人らが被申請人の従業員であつたことは当事者間に争いがなく、疎明資料によれば、申請人大山春日は、昭和四七年一二月頃被申請人に縫製工として入社し、同四八年九月に退社したが、昭和五〇年九月頃再入社したものであり、賃金はすべて出来高払であり 固定給部分はないものの、被申請人方において就労し、勤務時間も定められており、被申請人の指揮命令に服していたこと、右申請人に対する解雇予告供託書にも被申請人が使用者である旨明記されていることが認められるから、同申請人も被申請人の従業員であつたと解される。また疎明資料によれば、申請人らはその主張の日頃全国一般労働組合愛知地方本部に個人加盟し、かつ右組合の岸本洋服店支部を構成していたことが認められる。

二、申請人ら主張のとおり被申請人が事業の継続不能を理由に全店舗を閉鎖し、昭和五一年一一月一〇日申請人らを含む従業員全員に対し、同月一一日限り解雇する旨口頭で意思表示をし、解散決議、該登記、賃金及び解雇予告手当金を供託したことは当事者間に争いがない。

三、被申請人は、申請人らの為に被申請人が弁済供託した解雇予告手当金を申請人らが受領していること、申請人らが雇用保険法所定の失業給付を受領していることは、いずれも申請人らが解雇の効力を承認したものといえる旨主張するが、右供託金受領の一事をもつて申請人らが解雇を承認したものと解すべきでないことは勿論、失業給付も雇用保険法の規定上解雇の効力に争がある場合には一応認定支給を行い、裁判上解雇の無効が確定したようなときは右支給が取消されて、該受給者はこれの返還義務を負うものであるから、失業給付を受けているからといつて解雇を承認したことにはならないのであつて、被申請人の右主張は理由がない。

四、そこで、本件解雇の効力について判断する。

(一)  店舗閉鎖に至る経過

被申請人の営業年度が毎年六月一日から翌年五月三一日までで、昭和四八年六月一日以降各決算期及び会社解散時の営業上の収支中売上高及び損益が別紙収支概要1、6欄記載のとおりであること、被申請人は昭和四九年度決算期に会社設立以来はじめて損失を計上したこと、以上の事実は当事者間に争いがなく、疎明資料によれば、右各年度の収支中別紙収支概要1、6欄をのぞくその余の売上原価等の状況も同表該当欄記載のとおりであること、昭和五〇年度(昭和五一年五月三一日現在)の損失一八六八万円は前営業年度の欠損にともなう租税還付金四五二万八五七五円を営業外収益として算入した上で生じたものであるから、実損失額は二三二〇万円余になることが認められる。

そして、その後も被申請人が毎月損失を出し遂に店舗閉鎖に至つたことは当事者間に争いがなく、その経過は疎明資料によると一応次のように認められる。

(1)  被申請人は、元々はその先代が始めた個人企業で、戦後これを承継した被申請人代表者岸本英太郎が昭和二八年株式会社に改組したもので、取締役はその妻百合子、長男英明の二名で、株式二万株(資本金一〇〇〇万円)の大半は岸本家で所有している。ところで、被申請人代表者英太郎は、かねて百貨店に対抗するため、店の規模の拡張を企図していたが、昭和四九年八月ダンデイ店を、同年一一月ヴアン店を新設し、昭和五〇年三月アドン店を大改装した。その結果被申請人は西三河地方では大手の洋服店と称されるようになつた。しかし、右設備投資により昭和四九年度の借入金は前年度の八九三七万円より一挙に一億五七三三万円に急増し、その支払利息も年間一五〇〇万円余に及んだ(店舗の新設改装これにより借入金が急増したことは当事者間に争いがない)。これに加えて当時は昭和四八年の石油ショック以来の景気後退期にあつたので、右新設二店の業績は不振で損失を重ね、また既設三店も昭和五〇年春頃から売上げが減少しており、かくて昭和四九年度決算期(昭和五〇年五月三一日現在)に被申請人は前記の如く設立以来はじめて六五三万円の損失を計上した。被申請人代表者は本店建物の所有者として被申請人から賃料を取得していたが、昭和五〇年度には当初の一カ月分を受領したのみで残余を放棄し、役員報酬も約一割減額し、昭和五一年二月頃前記新設二店を閉鎖し(閉鎖にともなう差入保証金没収、投下諸設備の廃棄等により九六六万円の損失を生じた)、従業員に対しても前年比一四%の売上増を目標に協力方を依頼するなどしてきたが、昭和五〇年七月以降も一向に売上状況は好転しなかつた。

(2)  被申請人においては、昭和五〇年八月申請人らのうち九名が全国一般労働組合愛知地方本部に加盟し、同年一一月二三日支部組織の承認を受けたが(その余の申請人らはその後遂次加盟)、それよりさき申請人らは一一月一日より休日、有給休暇、年末一時金要求などをなし、ついで通勤手当、基本給の大幅増額等一四項目につき要求し、一二月六日にアドン店において労使交渉をなし、休日、有給休暇等については一応の合意に達し、年末一時金等については継続審議することになり、申請人ら主張のとおりの経緯により翌七日前日の合意事項が書面化され(一二・七協定)、同協定において「会社は今後の労働条件については労使協議し決定する」旨をも定めた(一二月六日の交渉の経過、一二・七協定の締結、同協定に申請人ら主張の条項があることは当事者間に争いがない)。そして同月一九日年末一時金交渉も妥結した。翌五一年一月二六日被申請人は新設二店の閉鎖により剰員を生じたので希望退職者募集の方針をたてたが、組合がスト権を確立して反対したので撤回した(以上の事実も当事者間に争いがない)。右剰員は三名であつたが、二名が退職し、残る一名は本店へ配転された。ついで組合は昭和五一年春闘に年齢別賃上げ平均三万九八三一円の要求を掲げて三月一九日スト権を確立し、同月二二日より交渉に入つたが、被申請人が零回答しか出さないので、四月一八日より七月一七日まで勤務時間中腕章(赤色で幅一〇センチ「総評全国一般岡崎地区協議会」と記入)ワッペン(市販のプラスチック製名札入に「七六春闘勝利」とマジックで記入)着用闘争を開始した。しかしレオ店においては、即日協同組合ショッピングセンターより「第三者からみればレオ全店従業員が春闘を行っているようにみられ、レオ全体の信用を失墜し、他の組合員及び従業員に多大の迷惑をかけるから直ちに着用は中止されたい。」との申し入れがなされたので、レオ店の組合員は同日腕章を取り外した。四月二三日被申請人が第六回団交で賃上げ五%(平均三二六四円)の回答と同時に、組合が要求していた服装手当を拒否したことから、組合はその抗議行動として翌二四日からジーパン闘争(ノーネクタイにジーパンを着用、ジーパンのない者は綿ズボン、コールテンズボン着用)を開始し(六月二九日まで継続)、更に右四月二五日団交の申し入れをしたが、何の回答もないため、翌二五日ストに入り、スト通告をうけた被申請人が本店表のシャッターを閉めておいたところ、組合員の一部が本店内に入つたので、被申請人代表者がこれを刑事告訴する事態が発生した。四月三〇日には被申請人が従業員の身元保証人に労使交渉、経営の実情を訴え再建協力を依頼する文書を発送し、五月一三日には一二名の希望退職者を募集し、申請外小早川啓一が組合員の家庭を訪問して退職の勧奨を行つた(腕章、ワッペン、ジーパン闘争、被申請人がスト中本店に入つた組合員を告訴し、文書を発送し、小早川が家庭訪問したことについては当事者間に争いがない)。これら被申請人のとつた措置について組合はすべて組合破壊を意図するものとして反発し対立感情をつのらせた。組合の賃上げ要求交渉は、その後も継続され、七月二六日に実働一日八時間に平均一万二〇〇〇円とし、刑事告訴は近日取下げる旨の協定が成立し、八月五日各人別賃金明細についても合意が成立して終了した(右協定成立時に被申請人側は、店長の賃上げも右協定に準じてなすことを組合に約した)。このような労使の緊張関係が続く間の昭和五〇年度決算期(昭和五一年五月三一日現在)の損失は、前記の如く二三二〇万円余で、負債の主なるものは、買掛金約三五四七万円、借入金約一億七一三九万円、支払利息約一七二六万円であつた。そして同年六月一日以降も別紙毎月損益表記載のとおり全く利益をあげることができず、八月には一ケ月間で約六〇〇万円近くの損失を生じた。同月八日被申請人は主力金融機関の岡崎信用金庫から八〇〇万円の融資を受け、ほかに岡崎市若松町所在の土地売買代金(昭和五一年六月四日、同年一〇月五日、同月一〇日の三回に四筆合計二二〇五万円)の内金四三九万円をもつて同月分給料等の支払にあてた。以後一〇月末までの毎月の損失、極度の資金不足の状況、大手問屋三社に対する為替手形の不渡状況(一〇月二〇日三〇〇万円、天神山、光洋分、一〇月三一日一〇〇万円天神山分)は、被申請人主張のとおりである。

(3)  このように被申請人の経営状況が切迫していたとき、七月三一日組合は夏期一時金の要求をしたが、申請人ら主張のとおりの回答しか得られなかつた。更に組合は、店長に対してのみ約二万七〇〇〇円の大巾な賃上げがなされたことを知り、団交の席上その理由を追求し、かつ店長の賃金明細の資料の提出を要求したところ、被申請人側は、当初はその事実を否定し、資料の提出もしなかつたものの、遂にその事実を認めたので、組合は被申請人が組合との協定を無視し、店長のみ優遇したことに抗議し、九月一一日スト権を確立し、翌一二日から非協力闘争(顧客が来店しても積極的には購買をすすめない闘争)を開始し(七月三一日組合が夏季一時金要求をなし、九月一二日より非協力闘争に入つたことは当事者間に争いがない)、九月二七日まで続けられ、右期間中の申請人らの売上成績は前年に比し著しく減少した。その後夏期一時金要求は、申請人ら主張の経過、内容で一〇月八日に妥結し、右一時金については同月一九日売上代金中から支給された。なお、被申請人代表者は春闘妥結時から九月下旬まで一切の団体交渉に出席せず、もつぱら副社長岸本百合子が交渉の責任者となつていた。また、昭和五一年度における申請人ら組合所属従業員の個人別売上成績は前年比で約半減している。

(4)  このような経過を経て一一月一日被申請人の有していた現金及び普通預金の残高は全店を通じて一一六万円にすぎず、これに対し、同月上旬に支払を要する債務は、被申請人主張のとおり約一六七三万円であり、しかも金融機関から融資を拒絶され、大手問屋三社に支払猶予と今後の援助を懇請したが、承諾を得られず、かくて被申請人はこれ以上事業を継続するのは不可能であると考え、同日夜組合との団交席上において、全店舗の閉鎖を発表するに至つた(その後一一月七日に天神山分一〇〇万円、光洋分一五〇万円、勝根分一〇〇万円の各不渡手形を出している。なおこれら各不渡手形は、東海銀行支店間のこととして手形交換所における不渡処分はなされていない)。

(二)  被申請人の解散時の資産状況及び清算結果

疎明資料によれば、次の事実が認められる。

昭和五一年一一月一一日現在において、同年六月一日からの営業損益は約一一七万円を計上しているが、その資産状況の明細は別紙貸借対照表記載のとおりであり、これを要約すると、流動負債の総額は約一億六三五六万円、流動資産の総額は約七六一七万円、固定資産総額約七七二四万円、他に投資金約一七四九万円であり、差引積極資産の方が約七三四万円多く、債務超過までには至つていない。固定資産中アドン店の土地約一五八㎡、地上建物鉄筋四階建の評価額は、税務署に対する申告額約六三七万円になつているが、時価はこれより高い(なお、固定資産は、他に山林四筆があつたが、これは、前記のとおり、既に三一七〇万円余で売却処分され、その代金は、給料・銀行借入金等の支払にあてられた)。その後清算手続が進められ、流動、固定資産等を売却処分し、これにより借入金債務は完済となり、その他の各債務の支払も殆んど完了し、現在若干の売掛金、買掛金の整理、保証金の回収を残こすのみの状況である。

(三)  解散時における団交の経緯

疎明資料によれば、次の事実が認められる。

昭和五一年一一月二日から同月一〇日までの間連日に亘り主として退職条件について団交がなされた。被申請人代表者は、企業閉鎖の理由を説明したうえ予告手当金の外に四ケ月分の賃金を特別手当として支給する旨を告げ、その資金も他から約八八〇万円借り入れて支給の用意をなし、過去五年間の決算書、元帳等を組合の要求により提示した。しかし組合は、組合破壊を目的とする一時的休業であるとして、解雇、退職を納得せず、企業再開の場合は、申請人らを優先雇用することを文書で約束せよと要求し、労使交渉は不調となり、一一月一一日前記のとおり本件解雇通告がなされた。その後も労使交渉がなされたが、遂に不調に終つた。

(四)  本件解雇の効力

以上(一)ないし(三)の事実によれば、被申請人代表者は、ダンデイ店、ヴアン店の新設に伴う設備投資により借入金利息の増大、一般的経済不況に伴う売行不振に加えて、度重なる労使紛争による組合との圧れき、並びに申請人ら組合員の各種闘争戦術による売上げの著しい減少等のため、経営再建の目途が立てられず、大手問屋商社から援助を中止され、金融機関から融資を拒否され、経営意欲と自信を喪失し、その結果、企業閉鎖、解散に至つたこと、及び清算手続は殆んど完了していることが明らかである。被申請人は、前記のとおり西三河地方では大手の洋服店と称されていたのであり、疎明資料によれば、本店の土地建物、代表者本人の自宅の土地建物はいずれも代表者の個人所有であり、同人がこれらを担保に融資を受け、被申請人に短期貸付するなどの方法をとれば、手形の不渡りは未然に防止し得た筈であり、被申請人代表者が、この措置をとらなかつたことは、同人が被申請人を経営する意欲と自信を失つたことを示すものと評されても仕方あるまい。

従つて、本件企業閉鎖、解散は、真実の閉鎖、真実の解散であると認められる。

もつとも、本店の土地、建物は、前記のとおり、代表者の個人所有として現存しているものであるから、代表者が、他日個人として企業を始める可能性がないとは言えないけれども、解散時に、代表者が右のような計画を具体的に立てていた旨の疎明は皆無であること、被申請人が実質上代表者の個人企業そのものである旨の疎明(いわゆる法人格の濫用ないし形骸化の疎明)の存しない本件においては、右可能性の存在することから、直ちに本件企業閉鎖、解散を目して偽装解散と即断することはできない。

労使紛争の経緯については、先に詳細に説示したとおりであるが、就業時間中の服装闘争は、労務の提供に支障を及ぼすか、そのおそれが大であるときは、違法な組合活動と目すべきところ、前記申請人らの各服装闘争(腕章、ワッペン、ジーパン等)は、時間内組合活動としてなされたものであり、被申請人の業種からして、店頭における顧客に対し違和感を生ぜしめ、不快感を招き業務の円滑な遂行に支障を及ぼすか、ないしそのおそれが大であると考えられる。現にレオ店においては、同一建物内にある協同組合ショッピングセンターからレオ全体の業務に支障を来たすとして中止申し入れを受けたことは前記のとおりであり、また、申請人らの昭和五一年度における個人別売上成績の著しい減退の一因は、右服装闘争にあると認められる。

また、非協力闘争は、怠業の一種であると解されるが、使用者はこの闘争により売上げが激減するときは、いわゆる防衛のためのロックアウトも許されるのであつて、この闘争により被申請人の受けた打撃は、深刻なものがあつたと認められる。

一方、組合との約束を無視した店長に対する昭和五一年度の大幅賃上、刑事告訴、警察官導入、身元保証人に対する文書送付、家庭訪問等被申請人側にも、いたずらに組合を刺激し、反感を抱かせるような所為が多々あつたことは否定できないところであり、労使は、今日の事態を招いたことについて、双方共にその責任があるというべきである。

しかしながら、本件全疎明によるも、本件企業閉鎖ないし解散が組合を破滅させることを決定的動機としてなされたものとは認められず、却つて、前記のとおり、被申請人代表者の経営意欲と自信を喪失した結果なされたものと認められる。

そうであるとすれば、企業廃止の自由を認める我が国の法制からすれば、それが法律上許されない理由はないから、本件解散は有効というべく、これを理由とする本件解雇は、疎明資料により認められる被申請人就業規則二三条一項五号にいう「事業縮小その他やむを得ない業務上の都合による解雇」として有効と認める外はないから、解雇事由不存在、解雇権の濫用、不当労働行為にあたるとする申請人らの主張は、いずれも採用できない。

また、前記のとおり、被申請人は、本件解雇にあたり何回となく労使交渉し、解雇の理由退職条件等について協議しているのであるから、仮に一二・七協定が申請人ら主張のとおり解雇の場合を含むとしても被申請人は同協定に基づく義務は一応履行していると認められ、右協定がいわゆる協議約款であり、組合の同意を要件としているものとは認められない以上、協定違反の申請人らの主張も採用できない。

五、以上の次第であつて、本件解雇は有効というべきであるから、その無効を前提とする申請人らの本件仮処分申請は、結局爾余の点を判断するまでもなく被保全権利の存在につき疎明がないことに帰するから、これを却下することにし、申請費用について民訴法八九条、九三条を適用し、主文のとおり決定する。

(裁判官 松本武 戸塚正二 林道春)

(別紙)

収支概要

第21期

48.6.1~

49.5.31

第22期

49.6.1~

50.5.31

第23期

50.6.1~

51.5.31

第24期

51.6.1~

51.11.11

売上高

万円

24,855

万円

29,246

万円

24,185

万円

5,765

売上原価

15,967

18,059

14,103

3,553

売上総利益

8,888

11,186

10,082

2,212

一般管理費

販売費

7,426

10,585

9,862

4,400

営業利益

1,461

601

219

△2,187

営業外損益

を含めた損益

1,017

△653

△1,868

(△は損失。万円未満切捨)

毎月損益表

49年

50年

51年

+ 2,476,650

- 630,698

- 4,988,016

- 3,632,489

- 4,988,016

- 3,632,489

+ 1,043,195

+ 1,094,715

- 1,179,425

- 2,161,800

+ 2,776,810

+ 357,120

- 840,106

- 5,287,869

- 3,628,611

- 2,636,510

- 3,216,346

- 4,542,658

- 5,759,943

+ 939,914

- 1,237,897

- 33,780

10

+ 1,098,213

- 964,643

- 2,336,857

11

+ 3,001,458

+ 1,339,537

12

+ 4,778,972

+ 95,003

貸借対照表

株式会社岸本洋服店 昭和51年11月11日現在

資産の部

負債及び資本の部

科目

金額

科目

金額

流動資産

(76,179,590)

流動負債

(163,563,794)

現金

386,868

支払手形

7,500,000

預金

6,218,886

借入金

138,900,000

売掛金

5,684,689

買掛金

14,652,324

仮払金

4,770,000

未払金

3,031,470

前払金

72,819

商品券

80,000

未収入金

10,600,000

資本金

10,000,000

棚卸商品

48,446,328

利益準備金

2,500,000

固定資産

(77,241,148)

別途積立金

2,500,000

建物

11,415,830

当期損失金

1,177,230

器具及備品

526,120

車輌運搬具

270,650

立看板

91,570

保証金

268,400

電話加入権

562,878

出費引当金

350,000

土地

46,960,000

投資等

(17,499,150)

出資金

17,499,150

合計

170,919,888

合計

170,919,888

(別紙目録省略)

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